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20世紀東アジア史を変えた若き将軍・張学良の記念館

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清泉に温泉がないとわかっても向かった理由の一つは、張学良の旧居があり記念館があったからだ。西安事変については高校の時に世界史で学び、その後大学で政治学を専攻したこともあり、中国近現代史の本などでも読んでいた。

そしておそらく大学時代だったろう。テレビの特集番組を見ていて、実はまだ張学良が存命なことを知りものすごく驚いた。

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だって西安事変は1936年。1990年前後の当時から見ても50年以上も前の話だ。
毛沢東にしても蒋介石にしてもスターリンにしても周恩来にしても、当時の関係者はだれもが過去の人物。

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そんな中、まさか事件の首謀者だった張学良が生き残っていて、長期幽閉後ハワイに移住していたとは!

●張学良 - Wikipedia

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張学良は西安事変後、反逆罪で逮捕されそのまま軟禁状態に。国共内戦後は国民党に連行され台湾にやってきてそのまま1980年代の民主化まで軟禁が続いていた。場所はたびたび変わっているが、その中でもっとも長く滞在したのが13年間いたこの清泉だという。

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バスターミナルの対岸、清泉温泉の奥に記念館が建っている。
1946年から1959年まで張学良夫妻が幽閉生活を送っていた日本式の住居を復元したものだという。

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1936年に西安事変を起こした時は36歳。
しかしすでにその時には、父親の張作霖は関東軍による謀略で爆殺されており、東北最大の軍閥のトップとして君臨していた。

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隣接する足湯施設は「将軍湯」という名前がついているが、その将軍とは張学良のことだ。

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そんな怒涛の20代・30代を送った張学良が、その後の長い幽閉生活をどう送ったのか、垣間見ることができるのがこの記念館だ。日本風家屋の中で雑誌をめくる姿、まどろむ猫、微笑む夫人。

政治からも世の中からも完全に切り離され、生まれ育った大陸東北部からもはるか離れた南の島・台湾の山間の小さな温泉部落で、静かな時を過ごしていたようだ。

本人にとってそれはどんな日々だったのだろう。何を考えて生きていたのだろう。
正確な表現は忘れてしまったが、もう一度同じ場面に遭遇してもきっと西安事変を起こしただろうといった本人の発言が書かれていた。

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西安事変の後の国共合作の舞台裏や、蒋介石が謀反を起こした張学良を殺さなかった理由など謎な部分は多いが、結局最後に生き残って21世紀の幕開けに立ち会った張学良も、最後まで西安事変について語ることはなくこの世を去ったという。

この人の伝記を読んでみたいと思った。

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こんな車も展示されている。

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記念館のすぐそばにあるもう一本の吊り橋。
こちらも歩いてみたかったけど、相当上まで登らないと入口がないのと、かなり揺れそうだったので見るだけでよしとした。

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バス停がある側には張学良故居がある。
もともとこちらに記念館もあったのを、対岸にうつしたらしい。

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なので作りはほぼ同じような感じで、こちらは今、原住民族館になっている。

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なかは本格的な日本家屋。
両脇にこの部落の春夏秋冬の風景写真などが多数飾られていた。

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台湾の原住民族の解説ボードなども。
ここに住むタイヤル族は、台湾で二番目に多い8万人超の人口をもつ山岳民族だ。

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張学良記念館・原住民族館を見学し、集落を散策、竹筒飯を食べての清泉滞在は約1時間半。10分ちょっと遅れてやってきた竹東行きのバスに乗り込んだ。

記事最終更新日:2016/03/07
記事公開日:2016/03/04
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